日本各地で頻発する豪雨や土砂災害。避難場所として指定されている小学校や公民館が、必ずしも安全とは限らないという現実をご存知でしょうか?
この記事では、実際に起きた「避難所の水没」と「助けた人が責められる」という衝撃的な事例をもとに、避難場所の安全性と災害時の人間関係に潜むリスクについて考察します。
水没した避難所――私が見た衝撃の光景
私の近隣では、これまでに2度、大きな土砂災害が起きました。電気や水道が無事だったため私は被害を免れましたが、ある日、知人たちから「ニュースであなたの地域が映っている」と連絡が相次いだのです。
実際に家を出てみると、道路の上を逆流する水、折れた木々、そして至る所に土砂が堆積している光景が広がっていました。中には高さ1メートル以上も土砂が積もった場所もあり、車道は機能を失っていました。
避難先で起きた事故と心の傷
現場では、ある女性と出会いました。彼女は介護職をしており、高齢の隣人を自家用車で避難場所に指定されていた小学校へ連れていきました。
ところが、小学校の前はまさかの“水没”。足元が悪く、側溝も水で見えなくなっており、避難の途中でその高齢女性が転倒し、怪我をしてしまったのです。
後日、「あなたが誘ったからこんなことになった」と責められた彼女は、深く傷ついていました。人を助けたのに、感謝ではなく非難が返ってくる――これが災害現場で起きている“現実”なのです。
指定避難場所=安全とは限らない理由
避難場所は、原則として安全とされる場所に指定されています。しかし近年の異常気象、特に線状降水帯による集中豪雨や土砂災害は、過去のハザードマップや想定を簡単に超えてきます。
その象徴とも言えるのが、東日本大震災で甚大な被害を受けた南三陸町の防災対策庁舎です。防災拠点として避難場所にもなっていたこの庁舎で、津波により多くの方が亡くなられました。
災害を経験して思うのは、「絶対に安全な場所は存在しない」という現実です。
結論:最も大切なのは“柔軟な判断力”
もちろん、事前に避難場所を確認しておくことは大切です。しかし、災害は人間の想定を超えてくることがあります。
「避難所だから安全」「指定されているから大丈夫」――そう思い込まず、その場の状況を見極めて柔軟に判断する力が、私たちには求められているのです。